元メジャーリーガーで現在は日本ハムの監督、”ビックボス”こと新庄剛志さん。
メディアに露出されることも多く注目度抜群です。
高校時代も伝説を残していますが、中学時代から才能あふれる選手でした!
しかし、調べてみると中学時代に意外な事件と挫折を経験していたのです!
新庄剛志の経歴・プロフィール
- 本名:新庄剛志(しんじょう つよし)
- 生年月日:1972年1月28日(50歳)
- 出身地:福岡県福岡市・生まれは長崎県下県郡美津島町(現:対馬市)
- 身長:181cm
- 体重:76kg
- 血液型:A型
- プロ入り:1989年ドラフト5位
選手歴
- 阪神タイガース (1990 – 2000)
- ニューヨーク・メッツ (2001)
- サンフランシスコ・ジャイアンツ (2002)
- ニューヨーク・メッツ (2003)
- 北海道日本ハムファイターズ (2004 – 2006)
監督歴
- 北海道日本ハムファイターズ (2022 – )
新庄剛志の学歴:大学は九州産業大学?
新庄剛志さんは大学へは進学していません。
1989年の高校3年時のドラフトで指名を受けられなかった場合は九州産業大学への推薦入学することが決定していました。
しかし、阪神タイガースにドラフト5位で指名され1990年に入団しました。
したがって大学へは行かず、阪神タイガースに入団後1992年から一軍で主力選手として活躍しました。
プロ野球ではみるみる主力選手になりましたが、大学野球で活躍した姿も見たかったですね。
新庄剛志の学歴:高校は西日本短大付属高校(偏差値44)
新庄剛志さんの出身高校は西日本短大付属高校・普通科スポーツコースです。
西日本短大付属高校の詳細
西日本短大付属高校は野球や女子バレーボールの強豪校として知られています。
新庄剛志さんの卒業後ですが、1992年の夏の甲子園大会では優勝したほどの高校です。
新庄剛志さんは中学時代から野球の実力はケタ外れでしたので、高校入学は野球での推薦入試だと思いきや、一般入試だったんです。
新庄剛志さんは、硬式野球部で寮生活を送り、高校3年生の時には4番でエースという中心選手となりました。
甲子園には出ていない!
高校時代もさぞ野球部で活躍して甲子園でも名が知られる存在だったに違いないはずですが、実際は甲子園には一度も出場していないんです。
高校3年生の時の甲子園の福岡大会の決勝戦でサイクル安打を達成しましたが、チームは負けてしまったのです。
阪神タイガースに入団して甲子園でプレーすることにはなりましたが、さすがの新庄剛志さんも甲子園に出られなかったことは心残りだったのではないでしょうか。
2021年に母校である西日本短大付属高校が11年ぶりの甲子園出場を決めました。
大変嬉しかった様子がわかるインスタでお祝いメッセージです。
西日本短大附属高校の皆さん
監督慎太郎〜選手みんなおめでと👍😊‼️ よくやった㊗️‼️
ナインには新庄先輩はここでプレーしてたんだ って思いを持って笑顔でボールを追いかけてくれたら嬉しいな‼️
野球部員たちにお祝いTシャツまで作ってプレゼントしています。
高校時代はホームラン1本が1万円!
何と高校時代、ホームランを1本打つと1万円、お父さんからもらっていたそうです!
高校時代には合計34本のホームランを打ったので34万円!ももらったんですね。
新庄剛志さんの練習量と集中は半端なく、練習中は普段の明るい性格からは考えられないほど真剣で、周囲は話しかけられないほどの熱気だったそうです。
やはり才能だけでなく人知れず血のにじむような努力をずっと重ねたのに違いありません。
選手ではない今でも体を鍛えていて、すぐにでも選手になれそうなシュッとした身体ですよね。
新庄剛志の学歴:中学は福岡市立長岡中学校
新庄剛志さんの出身中学は福岡市立長丘中学校です。軟式野球部員でした。
- 入学:1984年4月
- 卒業:1987年3月
福岡市立長丘中学校の詳細
住所:福岡県福岡市南区長丘2-26-1
鴻巣山に向かう傾斜の厳しい丘の上に建っている学校なので、生徒は通学までに毎日長い坂を登ることになります。
新庄剛志さんは中学校の野球部時代は坂を走って足腰を鍛えたのでしょうね。
この学校で新庄剛志さんは硬式野球部でしたが他の運動部も全国大会に出場しています。
地域的に根性がある子供が多いのか、先生の指導がいいのか、運動の才能にあふれる子供たちが多いのか、通学の差かで足腰が自然に強くなったのかは不明です。
新庄剛志さんが中学2年生の時に野球部も全国大会に出場していますが、この際に初の挫折を味わいます。
中学時代に軟式野球部でベンチから外された!
新庄剛志さんの出身校の長丘中学校は1985年、野球部が全国大会に出場しています。
この時、新庄剛志さんは野球部の2年生でした。
この時体格は身長が168cm、体重48kgと普通以上に細く、体格はそれほど目立ったものではありませんでした。
しかし、投げる球は125キロ!
当然エースとして出場するはずが、なんと出場メンバーから外されるという信じられない屈辱を味わいます。
当時の監督は新庄剛志さんの小学時代から走力・肩力が並外れと評すなど、その実力を認めていたにもかかわらず、ベンチ入りから外したのです。
理由は
試練を与えるためにあえて外した
そこで腐るかどうするか、監督は孫条剛さんの技術とともに精神を鍛えたかったのでしょう。
大会遠征から帰宅した新庄は自室に閉じこもり泣いていたというが、「監督は恩人」とプロ入り後に振り返っている
しかし、中学時代には選手生命も危ぶまえるもっと大変な試練もありました。
中学時代に野球ができなくなる大怪我!
新庄剛志さんは中学校時代の授業中に、なんと左手の小指を切断しかけるケガをしました。
のこぎり盤に指が降れてスパッと切れ、病院でなんとかくっつけてもらったけれど、神経が切れてしまっているそうです。
もし右手の小指だったら野球は出来なくなっていたそうです!
新庄剛志の学歴:小学校は福岡市立長丘小学校
新庄剛志さんは福岡市立長丘小学校の出身です。
長丘小学校も中学校の近くにあり坂を登らなければなりません。
毎日の通学で自然に足腰も鍛えられますね。
小学校時代は交通事故に8回!!頭を打って字が読めない?
交通事故に8回あうとは通常信じがたいですが、どれだけやんちゃだったことでしょう。
「落ち着きがなかったことが災いしたのか」と新庄剛志さんは言っていますが、その全ての事故で「頭を打った」そうです。
当時、父親から「お前はスポーツで金を稼ぐから勉強はするな」と告げられたことで「(勉強は)ほとんどしたことがない」といい、そのためか実は今でも「字が読めない」と告白しました。
LINE NEWSより引用
プロ野球選手になってから頭のレントゲンを撮った際に頭に影があることがわかったそうです。
それが影響して勉強が苦手?というわけではないと思いますが…。
子供の頃は活発でじっとしていない子供時代だったことでしょう。
野球選手になったきっかけは小学生時代の石投げ
河原で小石投げの競争をしたところ、新庄剛志さんがダントツ遠くへ投げたそうで、その時にお父さんが野球選手になるように決定しました。
小学校3年生からソフトボールを始めますが、実はサッカーが得意で、野球は色々なスポーツの中で一番苦手でした。
父親の勧めでソフトボールを始めたのですが、サッカーも極めていたらストイックな性格ですからプロになっていたかもしれませんね。
まとめ
新庄剛志さんの学歴とエピソードをご紹介しました。
めちゃくちゃ明るい新庄剛志さんですが、野球選手として才能だけでなく並外れた努力の元、活躍されていたんだなあと思いました。
これから監督としての采配が楽しみです。
新庄剛志さん効果で野球人気が盛り上がること間違いなしですね。
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