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ナターシャグジー結婚相手!夫は日本人で子供は?

ナターシャグジー結婚相手 有名人
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ウクライナ人の歌姫、ナターシャ・グジーさんはとても美しい容姿と歌声です。

結婚相手はどんな人なのか気になります。

素晴らしい美しい容姿と歌声の陰には、チェルノブイリ原子力発電所の事故で被ばくしたという過去をお持ちです。

どんな配偶者なのか夫や年齢、子供など気になるプロフィールなど深堀しました!

ナターシャ・グジー

 

本名 ナターシャ・グジー
Nataliya Gudziy
Наталія Гудзій
生年月日 1980年2月4日 44歳
出身 ウクライナ
職業 歌手、バンドゥーラ演奏家
初来日年 1996年
資格 日本語能力検定1級
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ナターシャグジーの結婚相手は日本人!子どもは?

ナターシャ・グジーさんの夫は日本人だとの情報がネット上にあります。

2003年に日本人の商社マンと結婚して東京に在住しています。

夫は四谷に会社があるそうですが、商社マンとの情報だけで一般人ですので詳細は不明です。

妹さんも日本人と結婚しています。

姉妹共に日本人と結婚したのです。
でかした、日本男児!

日々徒然参照

お子さんは2011年3月時点で1歳半ですので現在は15歳ぐらいの年齢ですね。

日本人とのハーフですし、さぞ美形と想像ができます。

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ナターシャグジーの結婚相手の画像!

ナターシャ・グジーさんの結婚相手はどんな方なのか気になります!

ネット上でナターシャ・グジーさんの夫を検索すると下記の男性の画像が出てきました。

しかし、これは夫ではなく仕事をご一緒した画家の池田学さんでした。

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ナターシャ・グジーの家族は

ナターシャ・グジーさんは、外国人の名前だとしても日本人にはあまり聞きなれないお名前ですよね。

大阪府人権協会で「カーチャグジー」という名前の女性とコンサートを開いていますが、カーチャ・グジーさんはナターシャさんの妹です。

カーチャ・グジーさんも大変きれいな方ですが、ナターシャ・グジーさんのように頻繁には音楽活動をされていないようです。

2010年に小田原での演奏されていますが、これ以降の演奏の情報はありませんでした。

家庭に入って静かに暮らしているのかもしれませんね。

 

その時の記事によりますと、姉妹とも日本人と結婚して、妹のカーチャ・グジーさんには2009年10月生まれの男の子がいます。

妹さんも日本で暮らしているんですね。

それにしてもビックリするほどお綺麗です!

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ナターシャ・グジーは原発事故を2回経験!日本でも!

ナターシャ・グジーさんは6歳でチェルノブイリ原発事故を経験しています。

避難生活のつらい経験があったのですが、またしても日本でも原発事故に巻き込まれるとは!

日本では2011年の東日本大震災の際は東京で1歳半の子どもとともに水泳教室に参加中でプールに入っていました。

プールはガラス張りだったため、地震の揺れが落ち着いてから着替えて帰宅しました。

夫は勤務先の四谷から歩いて深夜1時ごろに帰宅したそうです。

せっかく安全な日本で暮らしていたつもりでしたが、ウクライナにいる母親が心配して「原発からもっと離れたところに引っ越すかウクライナに帰国するか」促しました。

しかし、既に東京で生活基盤ができていたこともあり、夫と相談して「危険な状況になったら安全な地域に引っ越す」と決めたそうです。

遠く離れた国に住む母親は、さぞ心配だったことでしょうね。

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ナターシャ・グジーは6歳でチェルノブイリ事故を経験!

ナターシャ・グジーさんはウクライナで生まれましたが、チェルノブイリ原子力発電所からわずか3.5kmのプリピチャで暮らしていました。

父親はチェルノブイリ原子力発電所で働いていました。

1986年4月、ナターシャ・グジーさんはわずか6歳の時に原発事故で被ばく、着のみ着のままで各地を転々と避難生活をして、チェルノブイリから100km離れたウクライナのキエフ市の避難者用仮設住宅で暮らしました。

それから一度も自宅に戻れる事はなく、愛すべき故郷は土で埋められ、地球上の地図から消えたそうです!

チェルノブイリ原子力発電所事故とは

1986年4月26日午前1時23分(モスクワ標準時)に、ソビエト社会主義共和国連邦(旧ソ連)の構成国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故である。のちに決められた国際原子力事象評価尺度(INES)では深刻な事故を示すレベル7に分類された。

Wikipedia参照

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ナターシャ・グジーは日本語がペラペラなのはどうして?

ナターシャ・ グジーさんは驚くほど日本語がペラペラですよね。

日本語能力検定1級を取得されているそうです。

1996年に初来日し、2000年から日本語学校で日本語を学びながら日本で本格的に活動を開始しました。

世界で唯一の被ばく国である日本でチェルノブイリ事故の悲惨さと生命の尊厳を訴え、その後福島の事故のあとも講演や演奏活動で平和の大切さを訴え続けるためにも、日本語を一生懸命学ばれたのでしょう。

日本語能力検定1級は外国人向けの日本語能力を調べる試験なのですが、レベルの高さは新聞の社説を読み解けるほどの難易度なんです!

読み書きだけでなく熟語や読解力など、会話以外にもかなり勉強をしないと合格しないレベルです。

実際にコンサートに行ったことがありますが、歌声が美しいだけでなく哀愁があり、切なくなります。

日本語の唄も感情たっぷりで歌われるのも日本語がしっかり理解できているからでしょう。

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ナターシャ・グジーの学歴と経歴

ナターシャ・グジーさんは8歳から音楽学校で7年間ウクライナの民族楽器であるパンドゥーラを学びました。

その後、民族音楽団「チェルボナ・カリーナ」(チェルノブイリ原発事故で被災した少年少女を中心に結成された)のメンバーとして、1996年と1998年に来日し、日本全国で救援コンサートを行いました。

音楽の道を歩もうとした矢先、原発事故後も原発で13年間働き続けた父親が病で仕事ができなくなってしまいます。

そして家族のために働かなければならなくなり、音楽の道を断念しようとしました。

しかし、ナターシャの才能を高く評価した日本人の助けで2000年に来日しすることができ、日本で本格的にバンドゥーラ演奏家として活動をスタートしました。

チェルノブイリ救援コンサートはもちろんテレビやラジオ、音楽教室や全国の学校で国際理解教室などで活躍しています。

ウクライナ大統領ヴィクトル・ユシチェンコが来日した2005年7月には、首相官邸での小泉純一郎首相主催の夕食会に招かれ美しい歌声と演奏を披露しました。

2016年には、このような音楽を通じたウクライナと日本の相互理解への功績が認められ、外務省から外務大臣表彰を受けました。

ライフワークとして,チェルノブイリ原発事故の被災体験を伝える活動を行っているほか,東日本大震災以降は,被災地への支援活動にも精力的に取り組まれています。

在ウクライナ日本国大使館HP参照

ご自分の辛かった経験をしてほしくない、という強い願いからの活動が認められたんですね。

その思いを知ると、ただ美しい人が美しい声で歌っていると思うだけでなく、切なさで胸が熱くなります。

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ナターシャ・グジーの楽器は?

ナターシャ・グジーさんが演奏している楽器はバンドゥーラと呼ばれるウクライナの民族楽器です。

1本の木を切り出して職人さんが手作りで造っています。

紀元は12世紀頃、ロシアの宮廷につかえる専属の奏者によって演奏されました。

目の不自由な人に演奏されていたという点は日本の琵琶法師と似ていますね。

日本でバンドゥーラの奏者は珍しいですし、一度生でその音を聞くと響き渡る透明感に驚きます!

ハープとギターの間のような見た目で、弦はなんと63本もあるそうで、音色は鍵盤楽器のようなんです。

ギターのように左手で弦を押さえ、右手ではじいていますが、演奏はとても難しそうですね!

チェンバロにも似ている音色で、哀愁が感じられ日本の唄ととてもマッチします。

情感たっぷりですごく歌がお上手ですが、声楽は来日してから本格的にレッスンを受けたそうです。

バンドゥーラはとても澄んだ美しい音色ですが、つい美しすぎるナターシャグジーさんに注目してしまいますね。

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まとめ

ナターシャ・グジーさんの結婚相手など家族について深堀しました。

夫は日本人で、妹がいて妹さんのご主人も日本人ということがわかりました。

  • 結婚相手は日本人の商社マン
  • 子供の年齢は現在は15歳ぐらい
  • 妹も日本人と結婚し日本在住

福島の原発事故の犠牲者を励まし続けてくれているナターシャ・グジーさん、これからも美しい歌声と演奏で平和を訴え続けていかれることでしょう。

是非機会があれば生演奏で美しい歌声を聴かれるお勧めします!

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